げんしけん 簡易レビュー
さて、本日からいよいよ冬コミ。
大阪夏の陣・冬の陣に参じた徳川家康も真っ青な、オタクのオタクによるオタクのための祭典がスタートです。
が、管理人にはとりあえず何の関係もありませんし行く予定もありませんので、ここは気分だけでも味わうために、先週最終巻が発売したげんしけんのレビューを行いましょう。


しかしまあ、困ったなあ。
いや、何が困ったって、今更この漫画の内容についてダラダラ語ったところで、仕方が無いよねという辺りが。
第一話から最終話まで総括したレビューなんぞ、この年末にやる気は起きないですし、そういうのは専門のファンサイト様にでもお任せすればいいですしね。
というわけで、そういった細かい点は他所のサイトにお任せするとして、僕はこの漫画がどうして終わったのか(終わらねばならなかったのか)、その辺について語ってみましょうか。


まず最初に結論から述べてしまいますが、

この漫画が終わったのは春日部さんが卒業してしまったからです(断言)。

こう書くと、
「主人公である笹原が卒業したのは何の関係も無いのか?」
と聞かれそうですが、ぶっちゃけ、笹原が卒業しちゃっても春日部さんが残ればお話は続けられるんですよね。
ちょっと真面目な話をするんですけど、物語っていうのはマイナスからスタートして、通常の状態へと復元していく行程を描くものなんですよ。
例えば、日本全国を旅してる黄門様ご一行が訪れた先で悪代官が幅を利かせており(マイナスの状態)、黄門様達がそれを懲らしめる(通常の状態へ戻す)といった具合にです。
で、笹原を主体としてこのげんしけんという作品を捉えた場合、笹原は元々オタクであり、別にげんしけんに入らなくてものんびりまったりとオタクライフを過ごしたのは確実でしょうから(恋人は出来なかったろうけど)、これといってドラマ性のある行動をとっているわけではないんですね。
しかし、春日部さんを主体として捉えた場合、ゲッツした彼氏が凄まじいオタクだわ、なし崩し的に自分もオタク達が集うサークルへ参加させられるわで、非常にスリリングな毎日です。
作中の台詞などから察するに、これまでの日常とは180度異なる生活をする羽目になったでしょう。つまり、マイナスの状態ですね。
それでも、春日部さんは(彼氏を逃したくないし)、頑張ってこの環境に順応しようと(通常の状態になろうと)していくわけで、そこにドラマが生まれていくのです。
ちなみに、通常の状態という表現をここでは用いましたが、要するに登場人物が目的を果たすという意味です。


また、第二の理由として、この漫画は明らかに春日部さんへ視点を置いています。
漫画は基本的に神の視点なんでちょっと誤解されてそうなんですけど、物語というのは(場面によって変わったりはするけど)必ず読者の視点を背負わされるキャラクターというのが存在するんですね。
多くの場合においてそれは主人公であり、例えばファンタジー作品だったら受け手は主人公へと感情移入し、彼が血沸き肉踊る冒険を演じる様を追体験していくわけです。
ですが、このげんしけんという作品の主旨は『オタクの日常を描いていく』事にあるわけですから、同じくオタクの笹原に視点を置いてしまうと、彼は自分自身がオタクであるが故に割とあっさりこの状況に慣れ、溶け込んでしまうためにカメラとしての役割を全く果たせません。
例えるなら、祭りの取材に行って自分も神輿を担いじゃう新聞記者みたいなものです。ちゃんと取材活動をしてくれないと、新聞記事にならないのです。
そういうわけで、この漫画を進行させるためには、非オタであり、目の前で繰り広げられる事を一歩引いた立場から見つめる事のできる、春日部さんに視点を置く必要があるわけです。
前半、笹原が同人ショップデビューした話で彼に視点がおかれていたり、後半における彼自身の恋愛話で笹原に視点が戻されていたのも、同様の理由によるものです。
既に同人ショップへ精通してしまっている斑目に視点を置いたり、それなりに恋愛経験の豊富な春日部さんに視点を置いたりしてしまっては、盛り上がりもへったくれもなく面白さが激減してしまうわけですね。


えー、そんなわけで段々何がいいたいのか自分でも分からなくなってきましたが、とにかく春日部さんはこの物語を映し出す上で必要不可欠な存在であり、読者の良き『目』であったという話でした。
……やっぱり、もうちょっと内容について触れといた方が良かった気もするなあ(苦笑)。

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by ejison2005 | 2006-12-29 08:18 | 漫画 | Comments(0)