「王道の難しさ」を真面目に考えてみる
 王道は難しい……よく聞く気もするし聞かない気もしますが、とにかく王道作品と聞くと「簡単そうに思えて実は難しいジャンル」というイメージがあります。え、ないって? そこは話を合わせて下さい記事が終わってしまいます。

 というわけで、台風も荒ぶってることですし、ちょっとインドアで王道の難しさを真面目に考えてみることにします。……日にち置いたら台風去っちゃったけど。



 まずは定義を決めよう

 さて、ここでひとつの問題が浮上します。それはズバリ、「何を差して王道とするか?」というもの。

 試しに王道漫画……と聞いて、ドラゴンボール、スラムダンク、ワンピース、北斗の拳、その他様々な作品を皆さん思い浮かべると思いますが、どれもこれも、それぞれの作品毎にてんでバラバラな特徴を有しています。ジャンルも違えば、主人公の能力も年齢も目的も何もかも違います。そりゃそうです。ゴーカイジャーだってみんな同じじゃないから確かめたがるのです。ただ一つだけの宝が誰にも眠っているのです。

 試しにgoo辞書で王道について引いてみましたが、その答えは、

1 儒教で理想とした、有徳の君主が仁義に基づいて国を治める政道。
2 《royal roadの訳語》安易な方法。近道。「学問に―無し」

 と、いうもの。とりあえず、僕らが求めてる王道の定義ではなさそうです。有徳の君主が仁義に基づいて国を治める作品しか認められないのでは、ジャンプに王道漫画は無いという話になってしまいますし、ほとんど全てのクリエイターは安易な方法を取ろうと思って作ったわけではないでしょう。

 というわけで、しょうがないから独自の判断で勝手に定義を決めることにします。ちなみに僕は産湯に使った時からジャンプっ子なので、基本的にジャンプのヒット作を参考にしてます。


1 主人公はヒーローであり、精神的には既に完成されている。半人前ではあっても、半端者ではない。あくまでメンタル面での話であって、実力が伴う必要はない。

 悟空もルフィも花道もケンシロウもダイも幽助も、みんなみんな、精神的には完成されたところからスタートします。ルフィはエースを助け損ねて涙を流しちゃったけど、あれはフィジカルな実力が足りてなかっただけで、別に自分の考え方や人生観が未熟だったから泣いてたわけではない。
 閑話休題だけど、ジャンプのバトル漫画において、よっぽど工夫しなければ修行パートが退屈になりがちなのは、「修行を通じて主人公の精神的成長を描写する」という修行パートが持つ性質と相性が悪いからじゃないでしょうか。ただ単純に技設定が増えたりレベルアップしたりするだけで、ドラマが発生しないのですね。
 だからそれぞれの修行パートにおいて、悟空はクリリンと友情を深めたし、ルフィと幽助は修業後へ一気に時間を流したし、花道はヒロインへのフラグ立てをしたし、ケンシロウはそもそも修行しないし、ダイはハドラー様が単騎特攻しに来たのでしょう。

 とまれ、皆さん人間的には成長する余地がなく、成長するのは主人公に影響を受けたサブキャラ達なのです。


2 主人公自身に因縁のある事件を描いてはならない。正確には、描いてもいいがメインに持ってきてはならない。

 ジャンプのヒット作で興味深いのは、どの作品における事件も、本質的な意味では主人公と関わりが薄いということでしょう。まあ、戦闘能力の関係上、どれもこれも「俺がやらなきゃ誰がやる!」な状態であることは確かですが、王道作品の主人公として思い浮かべるような奴らは、仮に戦闘能力が足りなくても戦いへ赴くような奴らです。というか、それが原因でピンチに陥りパワーアップってのはまさに王道だし。
 また、戦ってる内にライバルとの因縁が生まれることはままありますが、それは戦い始めた動機ではない。あくまでも、スタート地点こそが大切なのです。

 これを外れると、一気に勧善懲悪な王道路線から逸れてしまうと、僕は考えます。
 例として、みんな大好き「ガン×ソード」の主人公ヴァンは復讐を目的として行動し、それを完遂するまでの物語を展開しますが、彼を差して「王道作品の主人公だ!」と言う人はほとんどいないと思います。大変に魅力的な人物であるにも関わらず、です。
 それは基本的に彼が、自分の抱えている問題を解決したに過ぎないからではないでしょうか。困難さのグレードを下げてしまうと、友達に貸してたお金を返してもらいに行くようなお話なのです。そこにヒーロー性はありません。ただの格好良い復讐鬼がいるだけです。

 また、ゴーカイシルバーこと伊狩鎧は初登場時、転んだ子供に手を差し伸べるべきだとマーベラスに言い放ちました。それは世界を救う戦いも、転んだ子供を助けるのも、困難さの度合いこそ違えど、本質的には同じ行為だからそう言ったのです。そこには明確なヒーロー性が存在します。
 まあ、結果的には過保護な行為だったわけですが、都合の悪いことは気にしな~い。

 要するに、被害者がいて、それをヒーローが助ける物語こそが王道と呼べるものなのではないでしょうか。自分が困難な状況に置かれてるからそれを打開しようとする話では、ヒーローが生まれないのです。
 ファミレスバイトの如くシフトまで組んじゃう音撃戦士、仮面ライダー響鬼の関東十一鬼衆がヒーローなのは「人助け」を自らの使命としているからなのでしょう。


 さて、ここに挙げた二つの条件を満たした作品こそ「王道作品である」と、とりあえずこの記事では定義します。



 それが定義だとして何が難しいの?

 はっきり言いましょう。おそらく、超難しいです。

 では何故難しいのか? それは上記の定義によって成立しなくなる、物語のパターンを列挙して語りましょう。


1 最初ダメダメな主人公が成長して格好良くなる話を描けない。

 ピクサーのヒット作大否定です。続編が作られるまでの超人気作である、「トイ・ストーリー」も「カーズ」も、最初は精神的に未熟だった主人公が成長する過程を描いたお話なのですが、この定義だと王道ではないことになります。
 ここで注目すべきは、ピクサーの作品が最初を見始めた人はほぼ確実に最後まで見るだろう映画であるという点。
 そう、ジャンプでこれをやると打ち切られちゃうのですね。そりゃそうです。ジャンプ式アンケートシステムは、その週その週で票を集めるのですから、いくら「ほぼ確実にその主人公が成長する」と保証されていたところで、その週単独での評価を見れば低いものになるのは仕方がないことでしょう。しかも、最近の新連載は成長する必要性があることを認識してないケースもままあるし。
 テレビアニメや特撮の場合も同じで、主人公が駄目人間だったら、視聴率は落ちますし玩具も売れません。キバッて逝く羽目になります。

 嫌な奴を見てストレスを溜め込むために娯楽作品を手に取る人間は、ほとんどいません。マジョリティであることを差して王道と称するのならば、創作物の基本であるこの形式はそう呼ぶに相応しくはないのです。
 というか、一定期間毎に敢行される漫画雑誌や、週一で放送されるテレビアニメ、特撮などが主な創作物の供給源である現代日本の情勢に置いては、そういった作品が王道足り得ないというのが正確ですね。ラノベなんかも、最初の十数ページで読者の心を掴まないと売れないらしいし。


2 主人公自身が深い関わりを持つ事件を描けない。

 定義決めの際にも触れましたが、自分自身の問題を解決する主人公の物語は、王道足り得ません。だってヒーローがいないから。水戸黄門は、いつだって旅先で縁もゆかりもない人々を助けているのです。
 また、ジョジョが6部以降、妙に燃えないのは、この問題が大きいんじゃないかと僕は考えています。徐倫にしろ、ジョニィにしろ、事件へ関わった動機は自分の問題を何とかするためだからね。だからしばしば、導き手であるジャイロの方が主人公なんじゃないかと我々は錯覚させられたわけです。
 対して、5部までの歴代主人公はみんな、外部から事件に関わる奴ばかりです。作中の言葉を借りるのなら、黄金の精神を持っているのです。ジョナサンがDIOにへりくだるようなゴミ虫だったら壮大なサーガは始まりませんでしたし、ジョセフは人助けをする中でドンドン事件が大きくなっていきました。承太郎は母が倒れる前の花京院戦で明確に法で裁けぬ悪は自分が裁くと言い放ちましたし、丈助は無敵のスタープラチナが何とかしてくれるのを待つばかりの男ではありません。そしてジョルノは、セリエAのスター選手に憧れても良かったところを、わざわざギャング・スターに憧れたのです。
 おっと閑話休題。

 主人公自身が被害者であり、その状態から這い上がろうとするのはこれまた創作物の基本です。這い上がる過程そのものがドラマであるからですね。
 しかし、それは読み手であったり視聴者であったりに、ストレスを与えることになってしまいます。何せ我々は、作中の主人公と視点を共有しているわけですので、彼らが受けたストレスはそのままこの身に降りかかります。

 結局、先に述べた通り、ストレスを溜め込むために娯楽作品を手に取る人間は、ほとんどおらず、マジョリティであることが王道ならば、この形式はそう呼ぶに相応しくないということになってしまうのですね。



 以上、二つのパターンがこの王道定義によって不可能となります。これが本当に厳しい。だってこれ、文中でも述べた通り基本パターンなのだから。
 試しに自分の本棚に収まってる漫画へ目を向けて欲しいんだけど、この二つのパターンに収まっていない作品がどれだけあるでしょうか? それだけこの二つは、物語を織りなす際において重要な、基幹となる部分なのです。

 何故、基幹となっているのか? それは、主人公自身がドラマを生み出すのに必要なパーツだからです。
 言い換えてしまえば、

 王道作品というのはすなわち、主人公が単独でドラマを生み出すことができない作品である

 ということなのですね。

 王道の難しさっていうのは、すなわちそこへかかっているのだと僕は思う。主人公自身はドラマを背負っていない。そのため、脇役や被害者を助けたりする過程でドラマを生み出さなければならない。かといって、主人公なんだから当然、お話の中心にいないわけにはいかない。恐るべき矛盾構造です。

 うん、難しいね。解決策全然見えてこないね。そりゃあ、サイコーやシュージンだって苦悩するわというお話でした。

 ちなみに、この記事を書くにあたってインスピレーションを得たコラム

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by ejison2005 | 2011-07-22 03:40 | 漫画